私たちと聖書シリーズでは、現代の日本に生きる私たちが意外なところで聖書と関係があることを紹介しています。
①と②もぜひご覧ください。
さて、1月は学生たちにとって受験シーズンです。これまでの努力や経験を力一杯発揮していく時期でしょう。
その受験の中で、難関校の「狭き門」という表現があります。この「狭き門」とはなぜこのような言い方をするのでしょうか。
イメージは湧きやすいです。狭い門ですから誰でも入れる訳ではなく、わずかな人たちしか入れない風景が見えるからです。
実は、この「狭き門」は聖書が語源なのです。日本語のことわざに聖書が語源のものがあるなんて意外ですよね!
語源となった聖書の箇所はこのような箇所です。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」(マタイの福音書7章 13, 14 節)
なんと聖書では、いのちに至る門、つまり救いの門は狭いと言っているのです。この内容もかなり意外です!
キリスト教は信じればみな救われると教えられています。とすると、信じることは難しいということでしょう。
なぜ、信じることは難しいのか、それは聖書の中では人間の中にある自己中心や様々な欲が邪魔をするからと教えています。
私たちと意外な繋がりがある聖書を少しだけでも学んでみたい、1回だけでもと軽い気持ちでも大丈夫です。バイブルクラスはいつでも開いていますので、お気軽にご連絡ください。