こんにちは!
夏本番の暑さになってきましたね。
そしていよいよオリンピック・パラリンピックが始まりますね。
本来であれば、新型コロナウイルスの感染拡大を恐れることなく、存分に楽しむことができれば良かったのですが、日本での開催のオリンピック・パラリンピックがこのようなかたちになってしまい残念です。
さて、このオリンピック、実は聖書でもオリンピックと関連している箇所があるんです!
オリンピックと言っても古代オリンピックですが、こんな箇所があります。
「競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。
競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。すから、私は目標がはっきりしないような走り方はしません。空を打つような拳闘もしません。」(コリント人への手紙第一9章24 – 26 節)
この箇所はギリシャで行われていたオリンピックのことと絡めて私たちの生き方を示そうとしています。
スポーツをしたことのある方なら経験があると思いますが、スポーツで勝利したり、何か賞を得るために、その目標に向かって必死に練習することがあります。
そして、その目標にしていたものを得られれば代え難い喜びがあります。
私たちがいのちを全うし、天国へ入っていくとはこのことと似ていると聖書は教えているのです。
天国という朽ちない冠を目指して、私たちは今のいのちがある間に備えをし、それを目標に歩みを進めていく。
つまり、私たちは今何のために生きているのかが問われているのです。
聖書にはこのように生き方を問われることばがあります。
ぜひ、この聖書を一緒に読んでみませんか?
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(写真は古代オリンピックの競技場)