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希望に生きる人生

⼭形恵みキリスト教会牧師:吉持 尽主



 私はキリスト教会の牧師をしていますが、神を信じる、特定のものを信じてそれを⼤切にするというのは現代の⽇本では珍しいかもしれません。

今回はなぜ私が神さまを信じるようになったのかということをお分かちしたいと思います。

 私はキリスト教徒の家で育ち、当たり前のように神さまの存在を信じるようになりました。けれども周りの価値観や他の考えを知っていく中で、次第に神さまを信じられなくなっていました。


 そうした中、あるひとつの出来事が神さまを信じる⼤きなきっかけとなりました。それは祖⺟の死です。癌で⼊院していた祖⺟の元に、私は親戚と共に集まっていました。⼤好きだった祖⺟の呼吸が弱くなっていき、最後の息をふっと吐いた時、私は⼤きな声で「おばあちゃん」と声をかけました。

 ⼀⽅、⻑年連れ添ってきた祖⽗は祖⺟に「ハレルヤ!」と声をかけたのです。「ハレルヤ」とは神さまをほめたたえますという意味です。私は驚きました。最愛の妻を亡くして、「ハレルヤ」となぜ⾔えるのだろうかと⼾惑いました。


 しかしその後、それは祖⽗⺟のイエス・キリストを信じる信仰のゆえなのだと分かりました。イエス・キリストを信じていれば死んでもなお⽣きる道がある。天の御国への道が約束されていて、そこでは地上のような苦しみのない全き平安のうちでの歩みがある。そして、そこで祖⺟との再会の約束が与えられている。それを信じていたからこそ、祖⽗は「ハレルヤ」と⾔えたのです。

 私はこの祖⽗⺟の姿から死をも超える希望をそこに⾒出し、私⾃⾝もこの神さま、イエス・キリストを信じていきたいと思わされました。


 現代の⽇本において「神とは?」「天国とは?」など神や死後について考える時は多くはないでしょう。しかし私たちが⽣きていく中で、いずれはこれらの問題と向き合う時がくるのです。

 教会はこれらのことをゆっくりと考えることができる場所です。教会はいつでも皆さまをお待ちしております。ぜひお気軽にご連絡ください。



イエスは彼⼥に⾔われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも⽣きるのです。」(聖書)


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