こんにちは。
だいぶ暑くなり、夏を感じる日が多くなりましたね。
私(当教会の牧師)には2歳の娘がいます。
イヤイヤ期に入り、自分でやりたい!と言いながらわんぱくに毎日を過ごしています。
親として難しい気持ちになる時もありますが、とても愛おしさを感じています。
さて、イエス様はとても子どもを大切にするお方だったと聖書に記されています。
イエス様と子どもに関する内容はいくつかあるのですが、そのうちの一つにこんな出来事があります。
ある日、イエス様の弟子たちが弟子の中で誰が一番偉いのかを議論していました。
きっとお互いに自分の功績や能力を比較して、自分こそ偉いと主張し合っていたのでしょう。
そんな弟子たちを見かねてイエス様は弟子たちを呼び、そしてその弟子たちの前に子どもを一人連れてきたのです。
そして、誰が偉いのかと議論している弟子たちに、
「だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。」
と言いました。
イエス様は弟子たちを前にこの子どもが一番偉いんだ。だから、この子どものようになりなさいと言ったのです。
ここにはイエス様がどのように人を評価していたかが見えてきます。
私たちが生きている社会では、「偉さ」というのは功績や実績、その人のステータスで判断されるのが少なくありません。
しかし、イエス様は子どもが最も偉いと答えたのです。
「子どものように自分を低くするものが偉い」
子どものようなというところには様々な意味があるでしょう。
純粋さ、素直さ、真っ直ぐさなどなど。
イエス様は自分を低くすると言いました。
低くするという点では、子どもは大人のような力や経験はないでしょう。また、どのような環境であったとしても、生まれた環境、家庭の中で親や保護者の元に身を置き続けます。
そのように子どもは自然と低い立場に置かれてしまい、時に小さい者として扱われます。
しかし、子どもたちはその中で必死に生きていきます。
どのようなところでも一生懸命に生きていくのです。
イエス様はこのような「生き方」を見て子どもが一番偉いと言ったのでしょう。
イエス様は実績やステータスで人を見るお方ではなく、その人の「生き方」を見ておられるお方なのです。
このように、聖書は一般的な社会にある見方とは異なる見方を教えてくれることがあります。
そんな聖書やイエス様のことばに触れながら人生について、生き方について考える時を持ちませんか。
皆さんのお越しをお待ちしております。