私はなぜ神さまを信じているのか
- yamagata-megumi
- 5月26日
- 読了時間: 2分
私(吉持)はキリスト教会の牧師をしていますが、神を信じる、特定のものを信じてそれを大切にするというのは現代の日本では珍しいかもしれません。
今回はなぜ私が神さまを信じるようになったのかということをお分かちしたいと思います。
私はキリスト教徒の家で育ち、当たり前のように神さまの存在を信じるようになりました。けれども周りの価値観や他の考えを知っていく中で、次第に神さまを信じられなくなっていきました。
そうした中、あるひとつの出来事が神さまを信じる大きなきっかけとなりました。それは祖母の死です。祖母は癌で入院し、数ヶ月の闘病を経て最期を迎えようとしていました。臨終の時、私は親戚と共に祖母の元に集まっていました。大好きだった祖母が目の前で息をしなくなっていく。祖母が最後の息をふっと吐いた時に、私は大きな声で「おばあちゃん」と声をかけました。一方、長年連れ添ってきた祖父は息をしなくなった祖母に「ハレルヤ!」と声をかけたのです。「ハレルヤ」とは、神さまをほめたたえます、という意味です。
私は驚きました。妻を亡くして、「ハレルヤ」となぜ言えるのだろうかと戸惑いました。しかしその後、それはイエス・キリストを信じている信仰のゆえなのだと分かりました。イエス・キリストを信じていれば死んでもなお生きる道がある。天の御国への道が約束されていて、そこでは地上のような苦しみのない全き平安のうちでの歩みがある。そして、そこで祖母との再会の約束が与えられている。それをキリスト教徒である祖父母は信じていた。だからこそ、祖父は長年連れ添ってきた祖母がこの地上での苦労を終え、全き平安に入ったことを喜び、その天国の約束ゆえに神さまをほめたたえたのでした。
私はこの祖父母の姿から死をも超える希望をそこに見出し、私自身もこの神さま、イエス・キリストを信じていきたいと思わされました。
この死をも超える希望が与えらる、ということが私が神さまを信じ、イエス・キリストを信じる理由です。

現代の日本において「神とは?」「天国とは?」など神や死後について考える機会は少なくなっているかもしれません。しかし私たちが生きていく中で、いずれはこれらの問題と向き合う時がきます。
教会はこれらのことをゆっくりと考えることができる場所です。
教会はいつでも皆さまをお待ちしております。
ぜひお気軽にご連絡ください。


